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執筆者の写真ひろこ 山蔭

身体は乗り物

更新日:2023年3月26日

仏法では人間の境涯(人としての器)を大乗、小乗と例えることがあります。

大乗とは大きな器、キャパシティが大きく、心広く豊かであり、

小乗は、気が小さく、分け与えるものがない自分で精いっぱいの状態です。


また大乗を車と例えると、

大きな車で安全に人を乗せることができ、よくメンテナンスされ、エネルギーはいつも豊富。ナビは優秀で目的地を明確に示し、乗り心地が快適でスムース、視界はクリア、運転は自由自在にコントロール。

一方小乗はエネルギーがいつも不足して自分しか乗れない車で、メンテナンスもしないし、できない。ナビはあてにならずフリーズすることもしばしば。乗っていると身体が痛くなり、フロントガラスは曇って視界が悪い、タイヤは擦り切れいつスリップするかわからない。コントロールがきかず、いつも不安な中運転している。


と、こんな状況でしょうか。また、この車を肉体と考えてみるとどうでしょう・・・?


たとえ、車に全く問題がなくても、運転者自身が自身をコントロールできない状態であったとしたら。。。

他人の運転の仕方が気になり、怒りを覚え、自分の運転も荒くなり、安全、交通ルールが優先されなくなり、相手を戒める、怒りを発散させることを第一とし、事故を起こす手前のような行動を起こす。



誰であってもいつの間にか、他の何かに主導権を握られていることがあります。

世界はすべて振動、エネルギーの状態なので、自分ではない何者かに知らずのうちに同調してしまうのが日常です。

怒り、不安、恐怖、絶望感、罪悪感などでいっぱいになり、自分ではない何かに主導権が握られたような感覚に陥った経験があると思います。

自分、そして肉体(乗る車)のコントロールがきかない状態です。

このような状態では、肉体は痛み、病み、人間関係では対立、自己否定、嫌悪感が増し、人生の目的もわからなくなってしまうでしょう。


これは、努力や意志の強さで何とかなるものではありません。

深層心理、無意識層にある波長が本来望まない波長と同調する選択しているからです。

過去の経験、集合意識、遺伝情報などなど、人それぞれに刻み込まれたものは異なります。

それによりいつの間にか望まぬものと同調してしまっているのです。


アクティベーションの中に、本来の自分を取り戻す、自分の力を取り戻す、主導権を握る、過去の扉を閉じる、自分自身である自由。などの名前が付いたものがあります。これらのアクティベーションが全身に流れ、深層に働きかけていきます。

曇ったフロントガラスは少しずつきれいになり、オイルがきれいになり、錆が落ち、ナビが優秀になるにつれて、自分の本当の願望、目的地、在り方がクリアになっていくのです。


私自身、自殺願望があった時、どうしようもない欠乏感に襲われていました。

愛情深い夫、申し分のない夫であるにもかかわらず、過去世からなのでしょうか、愛情不足、自己否定が心の奥底にあるのがわかっていました。

アクティベーションに出会い、一つ一つの波長を受け取り、じっくりと味わうことで、徐々に薄皮がはがれていくようにして視界がクリアになってきました。

いつのまにか、本当に自分を愛し、身体は心からいとおしく、身の回りのものにさえ、感謝と愛情が湧いていることに気が付きました。


実体験をもって、このアクティベーションは本当に価値あるものだと実感した次第です。





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