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“存在”として生きる —
「仏性とは、開くものではなく委ねるもの」— 努力を手放し、“存在”として光を生きる — 私は小さいころから、いや、きっと 前世からずっと「仏性を開く」ことを求めてきました。 仏教系の家庭に生まれ、「仏性は慈悲と慈愛によって開かれる」と教えられ、 それが深く腑に落ちた私は、ただその道を真っ直ぐに歩いてきたのです。 自分の体調が悪くても笑顔で外に出て、人の悩みに耳を傾け、滅私奉公で働き続ける。そんな日々の中で、私はいつしか 「仏性を開くために生きる」という使命感に取り込まれていきました。 身体はくたくたで、心もすり減り、それでも 「まだ足りない」「もっと慈悲深くならなければ」と自分を奮い立たせていたのです。 ・・・ やがて心身が限界を迎え、再婚をきっかけに宗教の枠から離れました。 私の中に生まれたのは「もう、いやだ」という強烈な拒否感。 母は今でも強信者で、私が少しでも体調を崩すと「題目を唱えないからよ」と言います。 その言葉に、これまで我慢してきた痛みや悲しみが噴き出しました。 私は初めて「もう従わない」と告げました。 それは、反抗ではなく“私自身
ひろこ 山蔭
11月9日読了時間: 3分
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