苦しみは「自分の力への抵抗」から生まれる
「私たちは自分の力に抵抗する。そこから苦しみが生まれる」
グレッグ・ブレイデンの対談の中での言葉です。
・ここでいう「自分の力」とは何か・・
それは、
「自分が本来持っている可能性を認め、それに従って生きる力」
のことなのだと思います。
・では「自分の力に抵抗する」とは何か・・
たとえば、本当は「こちらへ行きたい」と感じているのに、
「そんなことをしたら、人にどう思われるだろう」
「私なんかにできるわけがない」
「そんな力が自分にあるなんて思ったら傲慢だ」
「これまでの生き方を変えるのが怖い」
と、自分自身を小さな枠の中へ戻してしまう。
つまり、
本来の自分 → こちらへ進もうとする
これまでの自己像 → 元に戻そうとする
この二つが引っ張り合っている状態で
「苦しみ」と呼んでいるのは、この内側の不一致なのではないでしょうか。
もし、自分の力を受け入れたとしたら・・
「では私は何を選択するのか」
「何を創造するのか」
「この力を何に使うのか」
を、自分で引き受けることになります。
実は、
無力でいることには、ある意味で安全性があります。
「私にはどうにもできない」と思っていれば、
選択の責任を負わなくて済むからです。
逆に、
「私には選ぶ力がある」
と認めた瞬間、人生は自分の選択と無関係ではいられなくなる。
だから人は、
自分の力そのものを怖がることがあるのかもしれません。
私たちは普通、
「苦しいから、自分にはまだ何か問題がある」
と考えます。
でも、この考え方を逆にすると、
「苦しさの一部は、問題があるからではなく、
もう古い自分には戻れなくなっているのに、戻ろうとしているために
生じているのではないか」
とも考えられます。
これは、かなり意味が変わります。
「まだ足りないから苦しい」のではなく、
すでに内側では次へ動き始めているのに、それを自分が許可していない。
そのために生まれる摩擦なのかもしれません。
もちろん、現実の苦痛や病気、災害、他者から受ける被害まで、
「本人が自分の力に抵抗しているから」
と考えるのは違うと思います。
ここで言っているのは、あくまで内面的・実存的な苦しみについてです。
本来の自分と、これまで自分だと思ってきた自分とのズレ。
そのズレについてです。
最近、私自身が感じていることがあります。
「痛みや違和感を消すために、自分の周波数に戻る」
のではなく、
「痛みや違和感を、自分に戻る合図として受け取る」
ということ。
痛み。苦しさ。違和感。不快感。
それらが現れたとき、
「あ、自分から少し離れている」
と気づいて、
「自分の周波数に戻ります」
と意図する。
そして、それ以上いじらない。
何かを足して、本来の自分になるのではなく、
本来の自分から外れたことに気づいたら、戻る。
だとすると、
必要なのは「能力を獲得すること」よりも、
むしろ抵抗をやめることなのかもしれません。
自分へ戻るほど、
静かになる。
静かになるほど、受け取れる。
受け取れるほど、本来の方向がわかる。
『フラワー・オブ・ライフ』の著者、ドランヴァロ・メルキゼデクは、エゴについて語っています。
エゴは、
もっと能力が欲しい。
もっと認められたい。
もっと成功したい。
もっと特別になりたい。
もっと高いところへ行きたい。
そして、何かを得たとしても、しばらくするとまた「まだ足りない」が始まる。
その根底にあるのは、
「今の私は十分ではない」
という感覚です。
一方で、「自分の周波数に戻る」というのは、
何かを獲得しに行くことではありません。
「もっと高い周波数にならなければ」でもない。
むしろ、
余計なものをやめて、本来のところへ戻る。
こちらなのだと思います。
極端に言えば、
エゴ:もっと何かになろうとする。
本来の自己:すでにあるものへ戻る。
という違いです。
そして、スピリチュアルな成長そのものも、エゴの材料になり得ます。
「もっと覚醒したい」
「もっと高次元につながりたい」
「もっとヒーリング能力を高めたい」
「もっと直感を開きたい」
「もっと人を変えられるようになりたい」
一見すると、とても霊的な願いに見えます。
でも、その奥に、
「今の自分では足りない」
があるのなら、その構造は、
「もっと成功したい」
「もっと評価されたい」
と同じなのかもしれません。
だから、ドランヴァロが「ハートに入る」ことを繰り返し語る意味も、ここにあるのだと思います。
ハートに入って、
「何を獲得しよう?」
ではなく、
「私は本当は何者だった?」
へ戻っていく。
だから、一つの目安として、
「これは私を“もっと”へ向かわせているのか、
それとも“戻る”方向へ向かわせているのか」
と感じてみる。
「もっと能力を」
「もっと成果を」
「もっと承認を」
「もっと高次へ」
となったときには、そこにエゴが参加しているのかもしれない。
でも、
「何もしなくていい。自分へ戻ろう」
と感じるなら、
・力を獲得するのではなく、力への抵抗をやめる。
・高くなるのではなく、本来の自分へ戻る。
・特別になるのではなく、自分であることを許す。
ということなのではないでしょうか。
そして、もしかすると、ここまで来ると、
「進化」という言葉さえ少し逆説的に感じます。
進化とは、何か別の偉大な存在になることではなく、
本来の自分を覆っていたものが外れていくこと。
なのかもしれません。




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